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化学的去勢等を考える
性犯罪の再犯防止策として、薬物療法を刑罰や処遇として位置づけるべきかを考えるページです。
「自分でも性衝動が抑えられない。次に何をしてしまうのか怖い」――そう語る性犯罪の前科者が、欧米の臨床研究には何人も登場する。「治療として薬を投与してほしい」と自ら求める人もいる。一方で、それが本人の意思ではなく刑罰として強制されたら、話はがらりと変わる。国家が個人の体に医療を強制的に施す――どこまでが許される行為で、どこからが行き過ぎなのか。
韓国、ポーランド、アメリカの一部州では、性犯罪者へのホルモン投与(=化学的去勢)が法律で定められている。日本では、まだない。
化学的去勢とは何か?
化学的去勢(chemical castration)とは、男性ホルモン(=テストステロン)を抑える薬を定期的に投与することで、性的欲求そのものを生理学的に下げる治療(または処分)である。
『去勢』というと外科手術(=精巣の摘出)を連想するかもしれない。でも化学的去勢は手術ではなく、薬の投与による。投与をやめれば、効果は徐々に元に戻る(=可逆的)。
ただし、長期間続けると副作用もある。骨密度の低下、心臓・血管のリスク、抑うつ、肝機能の障害――これらが研究で報告されている。「治療」ではあるが、軽い負担ではない。
世界ではどう運用されているか
韓国:義務化された世界初の例
2011年、世界に先駆けて、義務的な化学的去勢を法律として整備した(性暴力犯罪者の性衝動薬物治療法)。19歳以上の性的逸脱嗜癖を持つ性犯罪者に対して、裁判所が最長15年の薬物投与を命じることができる。
アメリカ(一部州):条件付き
カリフォルニア州、フロリダ州、ルイジアナ州、テキサス州などで、児童性犯罪者の仮釈放の条件として化学的去勢が課されることがある。義務化と『同意した者にのみ実施』の併用パターンが多い。
ドイツ:本人の同意が前提
1969年から法的根拠がある古参組。ただし、義務化はされておらず、本人の同意と医師の判断にもとづいて行われる。
ポーランド:義務化
2010年、世界で最初に「義務的な化学的去勢」を法律にした(韓国より1年早い)。15歳未満への性犯罪を対象とする。
なぜ導入すべきだといわれるのか(賛成派の声)
1. 「再犯率が大幅に下がる、というデータがある」
デンマークの研究では、化学的去勢を受けた性犯罪者の再犯率は2〜5%まで下がったという報告がある(投与しない場合は20〜30%)。差は非常に大きい。「もし子どもを再被害から守れるなら、薬を使うべきだ」という主張は、説得力を持つ。
2. 「小児性愛は『治療』が必要な状態」
とりわけ小児性愛障害(=思春期前の子どもに性的興奮を覚える状態)は、精神医学的には『治療対象の疾患』とされる。本人がいくら頑張って我慢しようとしても、難しい。心理療法だけでは効果が限定的な場合、薬物療法との併用が有効とされる。
3. 「本人にとっての救いにもなる」
『次に何をしてしまうか怖い』と苦しむ加害者にとって、薬で衝動が落ち着くことは、本人の救いでもある――そう考える専門家もいる。罰のためというより、本人の生活の質を改善するための治療、という発想である。
なぜ導入されないのか(反対派の声)
1. 「国家が個人の体に薬を打ち込むことは、拷問に近い」
国家権力が個人の身体に医療を強制的に施すこと――それは、近代国家の根本原則と衝突する。憲法第13条の個人の尊厳、自由権規約第7条の拷問・残虐な刑罰の禁止に触れるおそれがあるとの指摘がある。欧州評議会の反拷問委員会は、外科的去勢を『品位を傷つける扱い』として強く批判している。
2. 「医療が刑罰の道具になってよいのか」
本来、医療は患者の利益のためにある。医師がそのスキルを刑罰の執行に使うことは、医療倫理の根本と矛盾する、と世界医師会は指摘する。実際、薬物を投与する医師がプロとしての良心と板挟みになる、という現実的な問題もある。
3. 「副作用が見過ごせない」
前述のとおり、長期のホルモン投与には骨や心臓への副作用がある。罰のために投与し続けた結果、健康を大きく損なうことになれば、それ自体が新たな人権問題になる。
4. 「効くのは『性衝動が動機の犯罪』だけ」
性犯罪のすべてが性衝動から生まれるわけではない。支配欲、怒り、暴力性が動機の場合、薬では効果が乏しいとされる。投与中止後に効果が消えるリスクもある。
5. 「『同意』は本当の同意か?」
『化学的去勢に同意すれば仮釈放にする』という条件下では、加害者は『同意せざるをえない』状況に置かれる。これは形式的な同意であり、本当の同意とはいえないのではないか――との指摘もある。
日本の現状
日本では、刑罰または保安処分としての化学的去勢は導入されていない。
- 刑事施設の性犯罪者処遇プログラム(R3):認知行動療法を中心とする心理療法。薬物療法は含まれない。
- 医療機関での自発的治療:小児性愛障害などの診断を受けた人が、本人の希望でホルモン療法を受けるケースはあるとされる(精神科・泌尿器科での自由診療)。
つまり、日本では化学的去勢は『本人が望めば医療として受けられる』が、『刑罰として強制されることはない』という整理になっている。
日本の近年の動向
- 2017年:刑法改正で強姦罪を『強制性交等罪』に改称、刑の下限を懲役3年→5年へ。
- 2019年:R3プログラムを改訂、出所後フォローアップを強化。
- 2023年:刑法改正で『不同意性交等罪』に整理、性交同意年齢を16歳に引き上げ。
- 2024年〜:児童への性犯罪の再発防止策として、化学的去勢を含む医療的介入を検討すべき、との議論が一部の議員・専門家から提起されているとされる。
ただし日本では人権上の慎重論が根強く、立法化の動きは限定的とされる。
海外での採用動向
化学的去勢を法制度として持っている国は、現時点で世界に十数か国とされる(2024年時点)。
- 義務的導入:ポーランド、モルドバ、韓国、ロシア、アメリカ一部州
- 同意ベース:ドイツ、デンマーク、スウェーデン、スイス、フィンランド、カナダの一部州
- 未導入(検討中含む):日本、フランス、英国、オーストラリアなど
国際的には、義務的導入には人権面の批判が根強く、本人の自発的同意にもとづく運用が主流となりつつあるとされる。
歴史をたどってみる
外科的去勢の時代
20世紀前半、北欧諸国・スイス・ドイツなどで、性犯罪者や知的障害者に対する外科的去勢が広く行われた。背景には『優秀な遺伝のみを残す』という優生学の思想があった。第二次世界大戦中のナチス・ドイツでは、強制不妊化・去勢が大規模に行われ、戦後、その人権侵害性が国際的に厳しく批判された。
戦後:化学的去勢への移行
1960年代以降、医学の進歩で薬物投与による可逆的なホルモン療法が可能になった。1969年にドイツが世界で最初に法整備した(本人同意ベース)。
近年:義務化と人権論の対立
1996年、カリフォルニア州が世界で最初に『義務的化学的去勢法』を成立させた。2000年代以降、ポーランド、韓国、ロシアが続く。一方、欧州人権裁判所と欧州評議会は強制的な医療介入への警鐘を鳴らし続けている。「効果はあるが、強制してよいのか」――この問いは、いまも答えが出ていない。
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