DISCUSS
被害者への謝罪・補償の義務化を考える
判決後の法廷で、加害者が深々と頭を下げる。「本当に申し訳ありませんでした」――そう聞こえる声。でも、その言葉は、目の前の被害者の心に届いているのだろうか。あるいは、ただ刑を軽くしたい一心からの形式的な謝罪なのだろうか。
判決後の法廷で、加害者が深々と頭を下げる。「本当に申し訳ありませんでした」――そう聞こえる声。でも、その言葉は、目の前の被害者の心に届いているのだろうか。あるいは、ただ刑を軽くしたい一心からの形式的な謝罪なのだろうか。
もうひとつ。重大事件のあと、被害者やその家族には、医療費、葬儀費、休業による収入減、PTSDの治療費、そして数えきれない『失われたもの』が降りかかる。加害者がきちんとお金で償うとは限らない。むしろ、被害弁償なしで終わるケースのほうが多いのが現実である。
「謝罪と補償を、もっと制度として加害者の義務にすべきではないか」――そんな議論が、少しずつ広がっている。
謝罪・補償の義務化とは?
犯罪被害者に対し、加害者が(1)真摯な謝罪を行うこと、(2)経済的な損害を弁償することを、刑事手続きの中で制度として求める仕組みである。
現在の日本の枠組み
いまの日本では、刑事手続き(=罪を裁く手続き)と民事手続き(=損害賠償を請求する手続き)は分かれている。加害者が有罪になっても、被害者がお金を取り戻したければ、別に民事裁判を起こす必要がある。これは、心身ともに疲れ切った被害者にとって、大きな負担となる。
修復的司法というアプローチ
海外では『修復的司法(restorative justice)』という考え方が広がっている。これは、加害者を罰することよりも、加害者・被害者・地域社会の関係を『修復』することに重点を置く司法のあり方である。具体的には、加害者と被害者の対話の場を設けたり、加害者に賠償と謝罪を行わせることが、刑事処分の一部または条件とされる。
世界ではどう運用されているか
ニュージーランド:Restorative Justice Conferences
1989年に少年司法の分野で『家族集団会議(Family Group Conference)』を制度化したのが世界に先駆ける動き。加害者、被害者、双方の家族、地域住民が一つの部屋に集まり、何が起きたのか、何が必要かを話し合う。世界の修復的司法の手本とされる。
ドイツ:Täter-Opfer-Ausgleich(加害者-被害者の和解)
刑事訴訟法に明文化されている制度。仲介者(調停人)を介して、加害者と被害者が対話する。和解が成立すると、刑事処分が軽くなることもある。
アメリカ:Victim Impact Statement
判決を前に、被害者が法廷で『私はどれだけ傷ついたか』を直接語ることのできる制度。1980年代から各州で広がった。被害者の声が量刑に影響する仕組みである。
イギリス:Restorative Justice Programs
国家政策として修復的司法を推進。警察、検察、裁判所の各段階で、加害者-被害者の対話セッションが活用されている。
なぜ導入すべきだといわれるのか(賛成派の声)
1. 「被害者の本当の癒しは、お金や刑罰だけではない」
被害者の心理研究では、加害者からの真摯な謝罪、そして『なぜそんなことをしたのか』を直接聞くことが、回復にとって重要だとされる。お金や刑罰だけでは、被害者の心は完全には癒えない。
2. 「経済的補償を、もっと確実に」
現状では、有罪判決後も被害弁償が行われないケースが多い。「裁判で勝っても、お金は1円も戻ってこなかった」――そんな話は珍しくない。刑事手続きの中で補償の義務化を強めれば、被害者の経済的負担を軽くできる。
3. 「加害者の更生にもつながる」
被害者と直接向き合い、自分の行為が何を引き起こしたのかを知ることは、加害者にとってもっとも重い体験となる。これが、表面的な反省ではなく深い自覚を生み、再犯防止につながる、との研究もある。
4. 「処罰だけでは関係は『修復』されない」
刑罰は加害者を社会から切り離すが、被害者と加害者、地域社会の関係を回復することはない。修復的司法は、その『関係の修復』に取り組む。
なぜ導入されないのか(反対派の声)
1. 「強制された謝罪は、本当の謝罪ではない」
義務として頭を下げさせても、それは形式的な行為にすぎない。被害者にとっては、かえって『真心のない謝罪』に傷つけられるかもしれない。
2. 「被害者が、また加害者と向き合わされる苦痛」
対話の場を設けるにせよ、被害者にとっては、加害者の顔を再び見ることそのものが大きな精神的負担になる。すべての被害者が修復的司法を望むわけではない。
3. 「加害者にお金がなければ補償は実現しない」
義務化したところで、加害者に資力がなければ補償は絵に描いた餅である。「払うべき人が払えない」現実を、制度だけで変えることはできない。
4. 「刑事と民事を混ぜることへの懸念」
刑事手続きは『国家が犯罪を裁く』場、民事手続きは『個人間の損害をめぐる場』である。両者を混ぜると、刑事手続きの効率や公正性に影響が出るおそれがある。
日本の現状
日本でも、被害者保護のための制度はすでに整備されつつある。
- 犯罪被害者等基本法(2004年):被害者の権利を初めて明文化。
- 犯罪被害者等給付金制度:重傷病、遺族、障害給付金の支給(国による支援)。
- 刑事訴訟法上の損害賠償命令制度(2008年〜):有罪判決後の刑事裁判所で、簡易に損害賠償命令を出せる仕組み。ただし対象事件は限定的。
- 被害者参加制度(2008年〜):一定の重大事件で、被害者・遺族が刑事公判に参加して意見を述べられる。
- 公判記録の閲覧・謄写制度:被害者が記録を確認できる仕組み。
しかし、加害者に対する『謝罪義務』『補償義務』を、刑罰または保護観察の条件として強制する制度は、いまだ部分的とされる。
日本の近年の動向
- 2017年:第3次犯罪被害者等基本計画が策定。
- 2022年:第4次犯罪被害者等基本計画。心理的支援の拡充、地域社会との連携強化を打ち出す。
- 2024年:犯罪被害者等給付金の支給上限引き上げが議論される。
また、近年は『修復的司法』の考え方を、少年司法やDV事案を中心に、限定的に試行する動きが各地で見られる。
海外での採用動向
修復的司法および被害者補償の制度化は、欧米諸国とコモンウェルス諸国を中心に幅広く採用されている。
- ニュージーランド:少年司法・成人司法の両方で全面導入
- オーストラリア・カナダ:州・地域レベルで広く運用
- ドイツ・オーストリア・スイス:刑事訴訟法に修復的手続を明文化
- イギリス:国家政策として推進(各段階で対話プログラム)
- アメリカ:被害者参加権、ビクティム・インパクト・ステートメントの導入が広い
- 北欧:メディエーション制度を活用、軽微犯罪を中心に運用
国連も2002年に『修復的司法に関する基本原則』を採択し、各国に導入を推奨している。
歴史をたどってみる
近代以前:被害者-加害者の関係が中心だった
実は古代から中世にかけて、犯罪は『加害者と被害者(またはその家族)の関係の問題』として扱われていた。賠償、和解、追放など、当事者間の解決が中心だった。
近代:国家が罰を独占する
近代国家の成立とともに、犯罪は『国家に対する違反』とされ、刑事手続きの主役は国家(=検察)、被害者は『証人』として脇役に追いやられた。これが現在の刑事司法の基本形となる。
1970年代以降:被害者の声が戻ってくる
1970年代、北米で『被害者運動』が広がる。「私たち被害者が忘れられている」という声が、社会的なうねりとなった。これを受けて、被害者参加制度、ビクティム・インパクト・ステートメント、修復的司法プログラムが各国で生まれていく。
1989年:ニュージーランドの転換
ニュージーランドが、先住民マオリの伝統的紛争解決の知恵を取り入れた『家族集団会議』を、少年司法に導入。これが現代の修復的司法の世界的な手本となった。
2000年代以降:国連の後押し
2002年、国連経済社会理事会が『修復的司法に関する基本原則』を採択。世界共通の指針として、各国の取り組みを支える基盤となった。
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